母の日、父の日、家族の日を考える

育児あれこれ

母の日や父の日を祝う風習は、世界の各地にあります。また、日本ではまだあまり知られていませんが家族の日というのもあります。家族の形が多様化するなかで、祝い方も多様化している印象です。スペインからの個人的な視点でまとめた記事です。

学校行事としては家族の日

子どもたちの通うこちらの公立校では、数年前から母の日や父の日に工作でプレゼントをつくるなどのイベントはなくなりました。家族の形態が多様化しているのがその背景にあります。離婚もわりと一般的ですし、昔ながらの、母親像、父親像も崩れつつあります。女性の社会進出が進んでいるので、共働きで家事は両親が分担していることも多いです。(家事の外注も一般的)

そんな中、学校行事では、「母の日」や「父の日」ではなく、「家族の日」を祝うようにシフトしているようです。スペインの場合、5月15日です。(ただ、公立の学校の場合なので、宗教色の強い私立の場合は、保守的な保護者も多く、また話が変わると思います。)

少数派の家族を許容する社会

スペインは同性婚が2005年に認められました。オランダ、ベルギーについで3番目でした。そういったわけで、LGBTへの社会的な理解は進んでいました。

現在、子どもたちの通う小さな公立校には、「ふたりママ」の家族の子どもが在籍しています。周りは特に、差別することなく普通に接しています。むしろ、前進的な道を選んだ家族を応援するような姿勢です。それは、「ふたりママ」の家族形態をまわりに認めてもらうというのが勇気のいる道だと理解しているからです。そもそも、その家族がとってもいい人たちなので、クラスではすっかり受け入れられています。まわりは新しい価値観の風を吹き込んでくれることでよい刺激を受けています。少数派を認め、許容することで、最終的にはみんなが豊かになるというループを感じます。

というのも、外国人として暮らす私のような立場も少数派だからです。昔から、LGBTが暮らしやすい街は、外国人でも暮らしやすいという構図が、自分の中には確立していました。

少数派を排斥する考えの社会では、外国人である私の立場も排斥対象となってしまう可能性があるのです。そして誰かがいつも少数派なのです。誰もが立場が変われば少数派になり得るのです。

性差は存在するが減っている?!

性差は存在します。それが、ヒトの造りですからね。でも、性差をもとに「こうあるべき」という姿は減少していると感じます。家庭内の役割分担も、得意な方が得意なことをしたらいいのです。ふるまいも「男らしさ」「女らしさ」を追求しすぎず、中性的でもいいじゃないかという流れがあります。家族の形態は、個人的なことです。他人のこまかいことは、「どちらでもいい。どうでもいい。」という感覚で接することが、これから自由で楽な生き方につながるのはないのかなぁ、と思います。

母の日、父の日、家族の日、家族の形はみんな違って、どうでもいい。そう思える社会がいいなと思います。人間関係で大切なのは、フィルターをかけずに見る、その人そのものの本質ですよね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました